
隋文帝の陵園・泰陵(資料写真)
【新華社西安3月26日】
歴史的に「改革皇帝」と称される隋文帝の陵園で2010年、科学的な考古調査と発掘が行われ、構造、範囲および一部の地下構造が初めて明らかになった。陝西省考古研究院が先ごろ発表した。
隋文帝・楊堅は581年から604年まで在位し、それまで200年あまりにわたって分裂状態だった中国を再び統一し、3省6部の中央集権的政治体制を確立し、試験によって人材を登用する科挙制度の基礎を定めた。楊堅の陵園である泰陵は現在の咸陽から西に75キロ離れた三畤原にある。

隋文帝・楊堅(資料写真)
陝西省考古研究院の張博・副研究員は次のように説明した。今回の考古調査では、陵墓の盛土が陵園中央のやや南東側に位置していたことがわかり、盛土の南側に2本の墓道があり、基本的に平行なその墓道には、七つの中庭と七つのトンネルが作られていた。これらは明らかに帝王級の作りで、墓道は盛土の下の二つの墓室につながっていた。このように「同じ墓内に異なる墓室」を持つ帝王陵墓は、中国の帝陵発展史において、皇帝と皇后がそれぞれ別々に盛土をともなう埋葬を行っていた段階から、2人で一つの盛土を共有する段階へと移行する期間に作られたものだ。秦陵に近い唐高祖・李淵の陵墓である献陵も、この構造だった。
測量の結果、専門家は現在の泰陵の外側には周溝があり、溝には平面が長方形の城垣があることがわかった。城垣は南北628・9メートル、東西592・7メートルで、基壇の幅は約4・4メートルだった。陵園の総面積は37万平方メートルあまりで、4面にはそれぞれ門が設けられ、南門の保存状態が良かった。門の外側には、それぞれ1対の望楼があり、望楼の平面は楔形だった。
(新華網日本語=中国通信社)