中山艦は1910年、清国政府が日本に発注した砲艦。その後、中華民国政府に引き渡され「永豊」と命名。孫文がこの艦に乗り、革命運動を指揮したことから、「中山艦」と改名された。1938年、日本軍機の攻撃を受け長江中流の武漢で沈没。1997年に引き上げ後、修復作業を経て現在、武漢にて展示されている。(編集YT) 「人民網日本語版」魏振基氏が生前に残した手記=9日撮影魏振基氏が海軍服役時に着ていた衣服=9日撮影上へ [1] [2]