“日本人は恥ずかしがり屋”というのは世界的に有名な話で、特に男性は、女性をエスコートすることがとても苦手と言われたりしますよね。外国人男性はレディファーストが習慣づいていて、女性をエスコートしたり花束を贈ったりすることを当然のように行っていますが、日本人男性にとってはなかなかハードルが高い様子。
日本人在世界上是出了名的腼腆,尤其是男性,据说他们很不擅长当护花使者。外国男性习惯于女士优先,不管是当护花使者还是送花给女性,都做的很理所当然,而这对日本男性来说似乎很难。

それにしても、日本人男性は一体どうして、そしていつからシャイになったのかちょっと気になりませんか?その疑問を探ってみると、なんと江戸の歴史にヒントがありました!歴史作家の堀江宏樹さん、シャイな日本人男性と江戸時代にはどんな関係が?
话说,难道你不会好奇么?日本男性到底是为什么、从什么时候开始变得如此腼腆呢?在一番刨根问底后,我们居然在江户时期的历史中发现了点蛛丝马迹!请问历史作家堀江宏树先生,腼腆的日本男性和江户时代到底有着怎样的关系呢?
“歴史をさかのぼると、江戸期以降、喜怒哀楽を表に出さないことを是とする『サムライ』を理想とする文化が受け継がれたことが関係しているでしょう。じつは、平安時代までの人々の感情表現は非常に激しく、光源氏に至っては、『自分の好きな人が死んだとき、悲しすぎて失神し馬から落ちた』というエピソードが残されているくらいです。しかし、時代が流れ、武士が活躍するようになると状況は一変。『武士は食わねど高楊枝』ということわざにもあるように、苦しい状況でもやせ我慢をして品位を保とうとする武士の姿が美徳とされ、感情をあらわにせず、多くを語らないことをよしとする男性の理想像が出来上がったのです”(堀江さん)
“追溯历史,这应该关系到一种文化的继承吧,因为在江户时期以后,主张把喜怒哀乐藏于内心的武士精神被人们所推崇。其实,直到平安时期,人们的感情表达都还是十分强烈的,甚至连那位光源氏都给人们留下了这么一个故事——当他心爱的人离开这个世界时,他悲痛至极失去意识,从马上摔了下来。然而,随着时代的变化,武士势力开始活跃,情况也发生了逆转。正如俗语‘武士は食わねど高楊枝’(意为武士即便穷得吃不上饭,也会装作吃过并拿着牙签来剔牙,类似于中文的打肿脸充胖子)说的那样,即使处境艰苦,也会硬撑着以保全颜面的武士行为被视为一种美德,于是,‘情不外露话不多说’的理想男性形象就这样被塑造出来了。”(堀江先生)
つまり日本人はもともとシャイだったというより、サムライの振る舞いを尊敬して、自ら“寡黙な男”になる努力をしていたんですね!さらに、江戸時代ならではのこんな事情にも関係が。