ロンドン五輪の幕がゆっくりと落とされた。第三十回五輪大会は引き続きスポーツ界最高の殿堂の風貌を世界に展示した。人々は五輪の旗の下の栄光と夢に感動し喝采を送っている。ボルト選手は再び歴史を覆したり、競泳では女性版フェルプスが出現したり、孫楊選手は中国男子競泳のゼロ状態を突破したり......
それと同時に、伝統的メディアやニューメディアが五輪大会の隅々にまで全面的にカバーし、「拡大鏡」のようなインターネットでの争論も空前的な「高騰」をみせた。止まることのない争論の声は関係者に注意を促し、道徳上の品性、競技組織の厳密性、国際スポーツ個別組織の権威と規則上の合理性において前代未聞の挑戦に直面し、また五輪大会が過剰消費されたかどうかについても話題に上った。
中国と米国の両争い
16日間の白熱の戦いを経て、米国チームは最終金46個、銀29個、銅29個の成績で金メダルとメダル総数の世界第1位となった。中国チームは金38個、銀27個、銅22個のメダルを獲得、金メダルとメダル総数はいずれも世界第2位だ。五輪開催国も再び相応の威力を発揮し、競技前メダル総数の第4位突破を目標に掲げたイギリスチームは最終的に金29個、銀17個、銅19個のメダルの成績で金メダルの世界第3位であったが、金メダルとメダル総数ではアメリカ、中国に比べ、かなりの開きがみられた。伝統的強豪チームであるロシアのランキングは北京五輪の後落ち続け、今回五輪開催国に金メダルランキングのトップ3に押し出され、金24個、銀25個、銅33個で世界第4位となったが、82個のメダル総数ではイギリスより17個を超えた。
ほとんど五輪大会の初日から、米国と中国は金メダルとメダルの総数では1位と2位の座をしっかりと占め、競技前からの「中米覇権争い」予想は現実のものとなったと思われる。アテネ五輪から、中国チームは連続3回の五輪大会で金メダルの個数で2位の座を占め、世界のスポーツ界の長期における米国、ロシア(旧ソ連)間の争覇のパターンを徹底的に変更した。ロンドン五輪では、合計54カ国・地域が金メダルを獲得し、85の代表チームがメダルを獲得した。