日本の民衆は釣魚島(日本名・尖閣諸島)の帰属について自らの考えを長年持っており、釣魚島をめぐる争いが起きると、すぐに対中感情が悪化する。日本ではもっともらしいが実は間違っている誤解や謬説が根強くあることが、その原因の1つだ。このため辛抱強く相手の考えを聞き、理路整然と、証拠に基づき、焦点を定めて疑問に対してわかりやすく説明することが、中日間の鬱血をほぐす役に立つかも知れない。(文:劉江永・人民日報特約論説員、清華大学現代国際関係研究院副院長、新日中友好21世紀委員会委員。人民日報海外版コラム「望海楼」掲載)
少し前に筆者は沖縄で、ある日本右翼に会った。釣魚島に言及すると相手はすぐに1920年5月20日に「中華民国」の馮冕駐長崎領事からの「感謝状」のコピーを持ち出し、これをどう解釈するかと聞いてきた。「感謝状」には福建人が「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」に漂着したとある。これについて私は「感謝状」の歴史的背景を詳しく説明。「早くも1895年に日本は不平等な馬関条約(下関条約)によって台湾をわがものにし、釣魚島も窃取した。この状態は1945年の日本の敗戦・降伏までずっと続いた。したがって、この期間のいわゆる『感謝状』に記された内容は、当時の歴史的背景を反映しているだけであり、中国が釣魚島が日本『固有の領土』であると認めたことの証明には全くならない」と指摘した。相手はこれを聞くや「歴史的背景を言われると勝てない。やはり喧嘩せずに、協力について話し合おう」と笑って言った。
|