「中国での生活に100%満足している。マイホームを持ち、4人の娘に恵まれ、自分で会社を経営している。ここ北京で、多くの善き友人に恵まれ、自由を謳歌(おうか)する毎日だ。このような完璧な生活は、北京がもたらしてくれたものであり、その点では北京にいくら感謝しても感謝しきれない」-----。宣伝文句のようなセリフだが、そうではない。英国出身のドミニック・ジョンソン・ヒル(中国語名・江森海)氏が語る心の底からの言葉だ。中国経済週刊が伝えた。
1993年、ドミニック青年は英国からはるばる北京にやって来た。万里の長城を上り、頤和園を観光し、所持金を使い果たしたため、仕事を探し始めた。「それから20年もの間、北京で暮らすとは、当時は全く思いも寄らなかった。あの頃、私には将来の計画もなく、ただ遊ぶのが好きで、自由でいたかった」と回想する。当時の北京には、「洋北漂(北京にやってきて活躍の場を求める外国人)」はほとんどおらず、外国人は大変歓迎され、仕事を得るチャンスも多かったという。「英語を教えてほしいという人から、私は引っ張りだこだった」
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