文・写真=劉世昭
飛来峰の彫像群の一部
杭州は3面を山に囲まれ、優れた自然条件と地理的環境に恵まれている。唐代には仏教が盛行し、今に至るまで西湖の周囲の山々には、多くの卓越した技による摩崖石彫芸術が残されている。
中原地区の石彫芸術は唐代の晩期から次第に衰え始めた。しかし、かつて呉越国(907~978年)と南宋(1127~1279年)が都を杭州に定めたため、石彫芸術はここで短い高揚期を迎えた。これらの五代(907~960年)、宋代(960~1275年)、元代(1206~1368年)に残された摩崖石彫は、ほとんどが西湖の周囲にあるため、“西湖石窟”と呼ばれる。その中で特に元代の石仏は、中国彫像芸術史の空白を埋めるものとなっている。
霊隠寺の前に位置する飛来峰は、西湖地区で石仏が最も多いところで、五代から元代までの計380体余りの仏像がある。青林洞の入り口西側に、後周の広順元年(951年)に滕紹宗が彫刻した“西方三聖(阿弥陀仏・現世音菩薩・大勢至観音)”の彫像があり、飛来峰で題字のある彫像の中でも最も古いものだ。この3体の仏像は高い仰蓮型の須弥座に座り、後ろに炎の光背を付けた、唐代晩期の風格を持つものである。