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中国大陸や欧州諸国では人間の排泄物の処理の仕方に頭を悩ましているのに対し、日本では逆に排泄物を土地の栄養や農作物の生産量を高める資源として歴史的に活用してきた。日本のトイレ事情もまた中国と欧州諸国とでは大きく異なる。「中国青年報」が伝えた
1965年にカリフォルニア大学バークレー校から出版された書籍では、16世紀から17世紀に日本に来て活動していたキリスト教宣教師の話を引用している。「客に提供されたのは、部屋から離れた静かな場所に設置された非常に清潔なトイレで・・・トイレの中には塵一つ落ちておらず、蚊取り線香と裁断されたトイレットペーパーが置かれていた。毎回客がトイレを利用して出て行くと、掃除をする人がトイレ全体をきれいに掃除をし、最後に清潔な砂を巻く。これで、トイレは再びまるで誰も使っていないかのような状態になる。トイレの隣にはきれいな水が入った容器と手を洗うのに必要なものが置かれている。 これは、日本人は貧富の差に関係なく、すべての人がトイレに行った後に手を洗う習慣を持つことを示している。
これは、トイレの掃除と排泄物の処理は、必ず排泄した人が自分で行うものであることを示している。実際、人の排泄物には土地を非常に肥沃にするという経済的価値があり、肥料として代用できる。しかし、日本では排泄物は高いのではなく、見つけるのが難しいのだ。日本では、大便や小便の所有権や処理権は完全に個人に属しているわけではない。江戸時代、東京の人口は100万人だったが、そのうち、半分近くの人口は長屋に住む地方から仕事をしに来た労働者だった。家主と借家人は排泄物の所有権について、大便は家主に属し、小便は借家人全員に属すと決めていた。家主と借家人は、それを肥料として江戸から10キロ離れた農家に売ったり、或いは農作物と交換した。
しかし、日本人がこのように熱心に、きちんと排泄物を収集したのは、決して経済的な理由だけに拠るものではなかった。このほかの主要な動機に、風俗と信仰がある。日本には「万の神」と称して古来より森羅万象に八百万(やおよろず)の神が宿ると信じられていた。トイレの神様こと厠神(かわやがみ)もその中の重要な神様だ。厠神は美しい女神とされ、中国の観音菩薩と同じく主に妊娠や出産などと深い関わりがあるとされている。
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