そうした角度からみると、日中友好は戦後、先駆者らのたゆまぬ努力によって育まれてきたといえます。彼らは両国の国交が正常化する前から両国間に横たわる数々の障碍を取り除く努力をしてきました。長きわたる無数の交流によって着実に簡単には壊れない友好の絆を強めてきました。
1968年、私は日中国交正常化を提言しました。当時、日本では中国との友好を口にすることさえ憚(はばか)られる状況で、ある意味、当時の情勢は今よりも厳しかった。しかし私は隣国との友好関係なくして日本の未来はないと信じていました。日中関係の安定はアジアと世界が平和の道を歩むためにも極めて重要です。
長年、日中は文化、教育、その他多くの分野で交流を行ってきました。まれに緊張することもありますが、両国の友好の川は年々壮大になっています。これは一対一の無数の交流を少しずつ積み重ねた結果で、そうした交流の一つひとつは小さいながらも重要な貢献を果たしています。そのため、どんな試練や障碍があろうと、これらの河流が簡単に枯れることはありません。私たちは絶対にそうした状況を引き起こしてはなりません。
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