食べることは、饗宴などの例外的機会をのぞけば、本来、人間が自分の“なわばり”で、最も親しいものとのみおこなう、きわめてプライベートな行為なのだ。
②人間のなわばりには集団的なものもあるが、まず個々人が他人に立ち入られると不安になって逃げ出したくなるような非許容空間をもっている。個人の周りに泡のように広がるその空間は自我の延長なのだ。相席をさせられると、この空間を互いにおかすことになり、無意識にも不安がつのって、食べ物の滋味をどれほど薄くするかわからない。
もう少し厳密に言うと、それでも③カウンターの席なら、隣にだれが座ってもさほど抵抗を感じないのは、“個人空間”ともいわれる人間の個人のなわばりが、前方に長く、背後や左右には短い楕円形をしているあかしである。
ともあれ、今日の日本のように家族がそろって食事をする日が少なくなると、他人と同席して勝手に食べたい物を食べるのをなんとも思わなくなっているのだろう。しかし、④これは文化からの退行でなければ、逸脱ではないか。
(野村雅一“しぐさの人間学”河出書房新社)
言葉と文法、文型:
1相席。=飲食店などで、知らない他の客と同じ席に着くこと。
2気詰まり。=周りに遠慮して気持ちが窮屈なこと。
3つつしみ。=間違いのないうちに気をつけること。
4ひところ。=以前のある時期。
5つまびらか。=詳しく、明らか。
問1①“そんな状態”とあるが、どんな状態か。