張中綿さんは博物館の従業員にこのように述べた。「私たちは彼が敵の子であるかどうかにかかわりなく、この子には父ちゃん母ちゃんがいないので、私たちが育てなければ、この子は死んでしまうと思っただけです。私たちはなんらかの見返りが欲しいなどと思ったことはありません。」
概算統計によると、日本の投降後、5000人余りの孤児が中国で捨てられており、うち年齢の最も大きい子は13歳、最も小さい子はまだおくるみにくるまれた赤ん坊だったという。
1972年中日国交正常化の後、これらの中国で生活していた日本の残留孤児が次次と帰国して定住した。40年余りが過ぎた今、中国の養父母の大多数はすでに亡くなり、ある人は死に至っても遠い日本にいる子供に会えなかったとのことだ。
「このような国家、人種、憎しみを超えた愛は、時の流れのために消えてなくなることはありません。」と井暁光館長は語った。
(新華網日本語)
|