世界で最も人気があるスポーツであるサッカーは、街から遠く離れた山奥に住む岩臘郷の子供たちにとって全く縁のないものだった。若い体育教師、曽一鳴がやって来るまでは。
山村の退屈な時間をつぶすため、また、自分が楽しく過ごすため、専門訓練を受けサッカーを愛してやまない曽一鳴は、素質のありそうな10名を選んでサッカーチームを作り、彼らにサッカーを教えた。
サッカーチームを作るのは簡単ではなかった。まず親に反対された。
農村の子供のほとんどは一家の重要な労働力となっている。例えばチームメンバーの一人である陳応海君は、毎日家に帰ると豚の飼料となる草を刈り、牛の糞を片づけ、豚に餌をやる。2時間の農作業を終えると宿題や復習をしなければならない。
サッカーチームに入れば、毎日午後に1時間の練習がある。親はそれが農作業に影響を与えることを心配したのだ。また文化系の教師も勉強がおろそかになることを心配していた。
サッカーのことは良く知らなかったが、それでも校長の熊国友は曽一鳴の熱心さに心を打たれた。曽一鳴はこのように説得したのだ。「サッカーは体が鍛えられる上、実行力やチームワークの精神を養うことができる。もしサッカーのせいで農作業や勉強がおろそかになったら、私が責任を取る」と。
素朴な農村の子供たちは、すぐにサッカーが好きになった。彼らは曽一鳴に迷惑をかけないように、できる限り努力した。ある子供は放牧しながらサッカーの練習をした。彼らは成績も農作業も怠ることはなかった。チームメンバーはみな学校で優秀な成績をとった。
「君たちの言動は岩臘郷のイメージを代表するんだぞ」。岩臘郷には専門のサッカー設備はないし、スポーツドリンクもない。しかし彼らは試合に出るたびに十分な成績を残し、自信もつけていった。
学校対抗リーグ戦。試合が終わるたび子供たちは、他のチームが残していったごみを全て拾って帰った。それを見た主催者は感謝の手紙を書き、全国の学校に対し、彼らに見習えと呼びかけた。
「中国網日本語版(チャイナネット)」