池田さんは牡丹江で幼少、青年時代を過ごし、1981年に日本に帰国し定住した。日本へ帰って親戚関係を結ぶ中での不遇を思い出し、池田さんは怒りと苦しみでいっぱいになる。「日本政府は戦争孤児を中国に放っておいて全く無関心で、彼らが日本へ帰ってきた後も差別を受け、不公平な思いをした」と池田さんは語る。
池田さんが37歳のとき、手がかりを手に入れた後に3人の子どもを連れて日本へ身内を尋ねたが、DNA鑑定の後間違いだと判明した。以前ビザ延長の申請手続きをする際に関係機関の職員の態度は冷淡で、その上「中国政府はあなたが日本人だと認めても、ここは日本なので、あなたが日本人だとは認められません。」と言い放った。その後、池田さんは法律事務所で働き残留孤児の国籍申請手続きを手伝いながら、自分の身内を探し続けた。数年後、池田さんは自分の姉と再会し、DNA鑑定の結果血縁関係であることも認められた。
池田さんは仕事の際に残留孤児の調書を閲覧し、見ているうちに思わず涙をこぼしたという。「残留孤児は戦争中に中国で捨てられ、ある人は両親が未だに見つからず、ある人は両親と話すことができず、中には両親が会いたがらず、その上彼らになぜ帰ってきたのかと問う両親までもいます。戦争孤児の人生はこのように本当につらいものなのです。」と彼女は述べた。
|