2009年からは、年一、二回日本から有名な声優を北京に呼び、大きなイベントを主催している。記念すべき第一回は、私のわがままを飲んでもらい、デスノートのL役を演じた山口勝平さん、犬夜叉の成田剣さんにおいでいただいた。
3年前、日本の芸能プロダクションからはなかなか信用してもらえなかった。現在、中国各地で日本のタレントを呼ぶイベントが増えつつあるのは、間違いなく次世代が信用を勝ち取ったからに他ならない。
さて、長い紹介が終わったところで、浮世絵交流会の趣旨を述べていこう。写真①を見て分かる通り、浮世絵はアニメの原点と言えるのではないか。世界最先端をゆくといわれる日本のアニメの技法は、二、三百年前にすでに生まれていた。平井氏によれば、現在のアニメは二、三百年前と比べ、少しも進歩していないという。
今回、平井氏が語ったポイントは主に3点。ひとつ目は先ほど述べた通り、アニメの原点は浮世絵だという点。次に語ったのは、“印象派”への誤解だ。
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記念撮影
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“印象派”は19世紀にゴッホやゴーギャンらによってフランスで生まれ、それがアメリカや日本にまで波及したと言われている。私も学校でそう習った。
しかし、ゴッホやゴーギャンは日本の浮世絵を見て感動し、自分たちは“日本の浮世絵版画派だ”と名乗っていたという。不思議な事にそのことはどの文献にも載っていないが、彼らのチーム名“印刷派”を、日本に持ち込んだ際、“印象派”と誤訳してしまったため、私たち日本人は、“なるほど、ゴッホやゴーギャンの絵は印象的なのだな”と勘違いしてしまったという。
ポイントの3点目は、浮世絵は日本独自の文化だという誤解だ。浮世絵に登場する骨董品や着物に描かれている模様は中国大陸から来たものが多い。江戸時代、鎖国という言葉によって、日本は他国の文化と切り離されていたと思われがちだが、浮世絵を見れば、中国文化をしっかりと受け入れていたことがわかる。
平井氏によると、当時の日本人は中国に憧れ、富裕層にとってのステータスは中国製の宝物を持つことだった。そして、詳細に描かれてある中国模様を正確に描くためには、印刷技術を指導しに中国から来たコーチが存在していた、と考えれば納得がいくだろう。なぜなら、鎖国時代、日本の浮世絵師が船で大陸に渡り、高価な骨董品を買い集めて浮世絵の制作に生かすのは少々無理があると推測できるからだ。
繰り返しになるが、平井氏が語ったのは主に3点。まずは浮世絵とアニメのつながり。次に、浮世絵と印象派の関係。最後に、浮世絵と中国のつながりだ。
このような話を聞いたこともなければ、実際本物の浮世絵を手にしたこともなかった次世代の若者たちは、90分間、ひとときも目を離さなかった。
全員が、キラキラと目を輝かせていたのが印象的だった。といっても、彼らは“印象派”とはまったく関係がない。
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笈川幸司
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1970年埼玉県所沢市生まれ。元衆議院議員公設秘書。元漫才師。
2001年に北京に来て、10年間清華大学、北京大学で教鞭を取る。10年間、中国人学生のため、朝6時に学生とのジョギングから始まり、夜中までスピーチ指導を無償で行い、自ら日本語コンテストを開催、中国全土の日本語学習者に学ぶ機会を提供している。また、社会貢献をすることで、日本大使館、日本国際交流基金、マスコミ各社、企業、日本語界から高い評価を得ている。2011年8月から2012年7月までの一年間、中国540大学で11万人の日本語学習者を相手に“日本語の発音、スピーチの秘訣”についての講演を実施する予定。
“ジャスロン日语学习沙龙”のホームページ://neo-acg.org/supesite/
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「人民中国インターネット版」