現在では公共バスにはエアコンがつき、半数が1両バスに切り替えられた。ミニバスは長距離以外撤廃され、街では見かけなくなった。
そして外国人の足として最も利用されるのがタクシーだと思うが、こちらも目を見張る変わりようだ。1993年当時のタクシーはほとんどが黄色い車体のミニバンで、「1元タクシー」と呼ばれ10キロまでは10元、その後1キロごとに1元プラスされるという激安タクシーだったのだ。私はこの1元タクシーが大好きだった。安い事もさることながら、運転手さんが驚くほどおしゃべりだったのだ。気質的には日本の"トラック野郎"と言った感じ。正直、私の中国語の会話能力はほぼ、このタクシーの運ちゃんたちに教わったといっても過言ではない。その後タクシーは当時少なかったシャレードがいつの間にか主流となり、あっという間に現在のヒュンダイ車に変わって行った。値段は1元タクシーの倍である。
今やタクシーは貧乏外国人よりも中国人の利用客が圧倒的に多く、あちこちで争奪戦となっている。そのくらい国民のタクシー利用が増えたという事だ。90年代の中国と言えば「天安門広場+人民服+人民自転車」が外国人のイメージだったと思うが、今や中国のシンボルだった自転車もそれほど走っていない。1/3はマイカーを持つようになり、1/3は電気自転車にシフトした(ように見える)。1993年当時と比べると、外国人と中国人の立場は逆転したのだな、と思わせるのが「北京の交通事情」なのだ。「中国国際放送局」
~つづく~