文学と映画の上では、冒険は、それ自体にストーリー性が備わっている。アン・リー監督も莫言氏も類まれなるストーリーテラーだ。ストーリーを語るプロセスの中で、二人ともすでに世界を超越している。単にアン・リー監督が超越したのは東方文化と西洋文化の壁であり、莫言氏が超越したのは言葉の翻訳の壁という違いに過ぎない。
アン・リー監督が最終的に米国の価値体系に基づく大衆文化の賞を獲得したのに対し、莫言氏は欧州の価値体系に基づくエリート文化から認められた。エリート層の道を歩んできたアン・リー監督の映画「ライフ・オブ・パイ」と大衆層の道を歩んできた莫言氏の小説「蛙」は、多元的な意義において、西洋の知識層文化と大衆文化が互いに引かれ合って完成されたものだ。2人は、世界進出を果たした中国文化の2つの縮図であり、東方と西洋という2つの巨大文化圏に挟まれ、時に融合し、時に対抗し、もがきながら自らの運命を模索している。
アン・リー監督の映画を見れば見るほど、その能力について形容するべき言葉を失う。時に東方的だったり西洋的だったり、商業的だったり文芸的だったり、緻密だったりシンプルだったりと、まるでそれぞれが少しづつあてはまるかのような多面性を持つ。それに反して、莫言氏の複雑性は個々の作品に表れており、全体的なスタイルは安定した東洋式、ひいては東洋の中でも最も泥臭い部分に属する。
2人の成功を中国文化による西洋文化の征服ととらえる人もいるが、実際には、欧米文化からの魅惑に富んだ挑戦が中国文化の再活性化につながることを期待する冷静な声の方が多数を占めている。
「人民網日本語版」
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