シンガポール国立大学東アジア研究所の趙洪シニアフェローは「東南アジアの大多数の国々は日本に付き従って騒ぐことを望んでおらず、いくつかのASEANの加盟国は中国との良好な関係を望んでいる。東南アジア諸国は東南アジアで日本の影響力が低下する一方で、中国は一挙手一投足が全局面に影響を及ぼす地位にあることをすでに意識している」と指摘した。
安倍氏の「価値観外交」に対する印象は東南アジアの学界でも良くなく、「価値観外交」は政治的道具だと考える学者が少なくない。「東南アジアは日本からの投資も中国からの投資も必要としている。経済分野での中日の競争は東南アジア諸国に利益をもたらすかもしれない。だが東南アジア諸国は政治分野での中日の競争に巻き込まれることは望んでいない。これは東南アジア諸国の利益に合致しない。したがって価値観外交は東南アジアでは歓迎されない」と前出のチュラロンコーン大学の研究員は指摘。「東南アジアで中国は日本より多くの『文化資本』を持つ。タイを例に取ると、多くのタイ人は中国人を祖先に持ち、中国に対して一体感を抱きやすい。一方、日本との関係は商業分野に限定されやすく、深まっていくことがない」と述べた。
1977年8月、東南アジア5カ国を歴訪した日本の福田赳夫首相はフィリピンの首都マニラで東南アジア政策の3つの基本原則「福田ドクトリン」を発表した。福田ドクトリンは1970年代以降の日本の東南アジア政策の柱となった。福田ドクトリンは「日本は軍事大国とならず、世界の平和と繁栄に貢献する」「日本は政治、経済、社会、文化など各分野でアジア諸国との交流を強化し、真の友人となり、心と心の触れあう信頼関係を構築する」「日本は対等な協力者の立場で東南アジア地域全体の平和と繁栄の促進に努める」との3点からなる。
日本の多くの学者は、福田氏が日本は決して再び軍事大国にならないと約束し、世界の平和への貢献に専念する意向を表明したことで、日本と東南アジアとの協力が真に促進されたと指摘。今日の多くの日本企業の東南アジアでの発展も、依然福田ドクトリンの恩恵を被っているとの認識を示した。
シンガポール国立大学東アジア研究の陳剛研究員は「福田ドクトリンは日本が再び軍事大国の道を歩むことへの東南アジア諸国の懸念を打ち消し、日本企業の東南アジア進出を助けた。福田氏は東南アジア諸国との関係を修復するため、軍事大国にはならない方針を表明した。だが安倍氏の打ち出した価値観外交には中国と領土紛争を抱える国を抱き込み、中国を牽制し均衡を図る意図がある」と指摘した。
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