神道を信仰する日本では、靖国神社は実質上国家宗教の役割を果たしている。そうでありながら、日本人は神社に祀られている戦犯を心から奉ることができない。この矛盾は日本という国の非尋常さの表れであり、それは日本の国家精神(あるいは魂)の暗闇の部分なのだ。安倍氏が「日本は戻った」と声高らかに発言したとき、この国はもぬけの殻であり、巨大なかかしであることに気づいただろう。多くの人が「わら」をもつかむ思いで靖国神社を訪れた。A級戦犯の位牌を納めた松平永芳氏は、東京裁判史観を排斥してのみ、日本は完全に心癒されるという。これは日本の右翼政治に象徴されている。
靖国神社は日本と世界との交流の妨げになっている。靖国は戦前の日本の象徴であり、戦後日本の政治経済が革新されようともこれに変化はない。靖国は日本人と歴史を結びつける帯であり、この帯は侵略の罪悪に染められている。平和発展を誓った国が、戦犯と侵略者の魂を絶えず拝む、この矛盾はしばし国際社会で日本を気まずい立場に追いやっている。
安倍内閣はすでに戦後最も民族主義的色彩の強い政権となり、「慰安婦は軍紀維持にために必要」や、「改憲はナチスに学べ」など政客の奇々怪々とした発言は後を絶たない。善悪の判断を失い、自我をも失っていく日本。靖国神社はすでに外交上の問題ではなく、日本が自らの罪をあがなうか否かの問題であり、もし日本が今後も靖国神社に迷走すれば、「靖国」はただの幻想に終わるだろう。
「中国網日本語版(チャイナネット)」
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