▽成功の秘訣
実際、日本の製造業は初めから今のように好調だったわけではない。
張准教授は、「1980年代になってから自動車をはじめとする日本の製造業が発展し始めた。中国と同様、初めは海外の進んだ設備を導入し、それから時間をかけて日本の特色を模索した」と話す。
日本と異なり、中国がよく行うのはリバース型(逆算型)の開発だ。このタイプの開発は現実にぶつかることが多く、出遅れることが多い。中国のテレビメーカー・長虹は従来のブラウン管技術の研究開発に長年を費やしたが、うまくいったと思った次の瞬間、急速に市場に出回る液晶テレビに駆逐されてしまった。独自のイノベーションがなければ、永遠に出遅れたままだ。
日本は対照的に試行錯誤型の発展が得意だ。たとえば自動車産業などは、進んだ実験設備を導入し、圧力や歪みなどの各種実験データを集め、それから改良に取り組み、自社の技術や製品を生みだしていく。そこで日本の自動車は米国の自動車よりも消費者の日常的なニーズに寄り添うものとなり、「応用が利く」日本の自動車のファン層を獲得するに至った。
自主研究開発と「品質第一」という考え方がもたらしたもう一つのメリット、それは日本の製造業が独自の整った標準システムと多くの技術特許をもつようになったことだ。張准教授は、「日本企業は成長ペースがゆっくりで曲折もあるが、ライフサイクルが他国の企業よりも長い」と指摘する。
企業の発展モデル、技術の研究開発、価値観という要因のほか、政府の開放的な態度も日本の製造業に多くの発展の可能性を与えてきた。張准教授は、「日本ではタバコ、鉄道、資源型産業が政府の統制下にあるのを除き、他の産業は基本的に『見えざる手』である市場にコントロールされている」と話す。日本では市場ニーズを通じた企業間の良好な競争が大切にされる。自動車の場合、日本政府は初めは最小限のマクロコントロールを行っただけで、これといった計画をうち出さなかった。そして今、日本で最も成功した産業は自動車産業だ。
「人民網日本語版」
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