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「中国が私の故郷」、感動の中国残留孤児回想記
//japanese.dbw.cn  2015-07-17 16:18:51
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 戦後の混乱の中で1958年、「中国残留孤児」として中国東北地域からたった一人で日本に戻り、のちに中国語通訳として日中交流に尽力してきた中島幼八さん(73)がこのほど、孤児時代の回想記「一中国残留孤児がつづる―この生あるは(中国語版:何有此生)」を自費出版した。

 東京出身の中島さんは1歳の時に、開拓団になった両親と姉と共に黒竜江省寧安県沙蘭鎮王家屯に来た。しかし、中島さんの父親・博司さんは、1945年に軍に召集され、そのまま行方が分からなくなった。そして、同年日本が敗戦すると中島さん一家は難民となった。ある冬のこと、厳しい食糧難のため、弱っていく中島さんを、母親はやむなく知人の中国人行商人・王さんに託した。

 王さんは、ぐっすり眠る中島さんを天秤棒で担いで、引き取り先を必死に探した。「この幼い命がかわいそうだ。私が育てます」。この一言で名乗りを上げたのは、農民の孫振琴さん。侵略者である日本人の子供と知りながらも、ためらうことなく、「来福」という新しい名前が付けられた中島さんが1958年に日本に戻るまでの13年間、孫さんと3人の養父からたっぷりと愛情をもらって育った。

 引き上げが決まり、中島さんを連れて帰りたいと考えた実母が養母と争うことになった。そこで村長が仲裁に乗り出し、実母と養母を20メートルほどの間隔で立たせ、真ん中に3歳半の中島さんを置いて、どちらに近づくかで親を決めることになった。中島さんはよちよちと養母に向かって歩いた。中島さんはこの話を、養母が近所の家でおしゃべりをしている時に聞いたという。中島さんの一人目の養父は素朴な農民・陳玉貴さん。中島さんは今でも、仕事から帰って来た陳さんの帽子が凍っていたことを覚えている。中島さんは「パパ」と叫びながら、陳さんの胸に飛び込んでいた。しかし、中島さんが8歳の時、陳さんは病死した。

 その後、養母は李希文さんと再婚。李さんが二人目の養父となった。それに伴い、中島さんの名前も、「陳慶和」から「李成林」に変わった。12歳の時、中島さんは体がむくむ病気にかかった。村では同じ病気で既に2人が亡くなっていたため、父親がすぐに中島さんを牛車に乗せ、医者を探し、中島さんは一命を取り留めた。

 中島さんの三番目の養父は河北省唐山市出身の趙樹森さん。港の作業員として働いたり、林場でコックとして働いたりしていた。しかし、中島さんは、大きくなってから、養母と趙さんが一緒に暮らしたことは一度もなく、ただ、将来のために中島さんの戸籍を農村部から都市部に移すためだけに、形式的に再婚しただけであることを知った。

 1958年6月、恩師として慕っていた中国人の教師の説得の下、16歳だった中島さんは、最後の引き揚げ船に乗り、日本へ渡った。村に戻って養母に別れを告げる時間もないほど、手続きに時間がかかったという。その後、中島さんが養母に会うことは二度となかった。

 東京に戻った中島さんは一生懸命勉強に励み、高校卒業後、日中友好協会に就職。退職するまで、中国の訪日団の通訳などに従事した。中島さんは、「将来、中日友好のためになることをしなさい」という、中国を離れる前に語った恩師の言葉を今でも覚えている。

 ある日、中島さんは、帰国した残留孤児の手紙を翻訳するよう友人から頼まれる。封筒を開けると、養父の趙樹森さんとその養女一家の写真が出てきた。その時、中島さんを引き取る前に、趙さんは中国東北地域の日本人農家で働いていたことを知った。敗戦後、その農家の主人はシベリアに送られ、その妻が病死。3人の子供が残された。一番上の息子は、他の場所で力仕事をしていた。病死した女性の埋葬を手伝った趙樹森さんは、3歳だった男の子を近所の家に引き取ってもらい、女の子を養女として自分が引き取った。

 中島さんは、自分の子供のいない趙さんは、日本人の子供2人を養子として引き取っていたことを知る。腰の曲がった趙さんは、中島さんにとって永遠のヒーローだ。

 中島さんのもとに送られてきた養母からの手紙には、「私達には息子がいない。また来福に会える機会があれば『息子よ』と呼びたい」と書かれていた。この話をしてくれた中島さんの目からは涙がこぼれ、「養母は排泄物で汚れるのをものともせず、心血を注ぎ、13年間にわたり、私を育ててくれた。養母の心は、全く汚れのない水のように透き通っている。私を育てることに、何の企みもなかった」。

 退職後、中島さんは2年かけて回想記を書いた。しかし、出版社は売れないと考え、中島さんは自費出版するしかなかった。年金1年分に当たる約100万円必要だったという。販売ルートもないため、中島さんは近所の本屋を訪ねた。店主の中村徳義さんは「とりあえず1冊置いておいて」という反応だったものの、次の日、「昨晩、寝ずに読んだ。とても感動した」との電話が入り、支店数店に「おすすめ作品」として置いてもらえることになった。そして、約170冊が売れ、店で最も売れた本になった。中村さんは、「中島さんが売っているのは本ではなく、『感動』」と絶賛する。

 中島さんは、「中国人は本当に親切。感動した。中国人を見直した」と書かれた手紙を、読者から受け取っているという。

 「人民網日本語版」

編集者:寧顕剛
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