意地になってこうするのを見ると、日本は歴史の悪行を隠蔽する決意を固めたようだ。他にも例はある。少し前に中国人民抗日戦争ならびに世界反ファシズム戦争勝利70周年関連行事への潘基文国連事務総長の出席をめぐっても、日本政府は再三こだわり、出席前には潘事務総長に対して出席しないよう繰り返し求め、国連に対して「前を見て」「中立を保つ」よう呼びかけた。潘事務総長が北京を離れても引き続き批判し、安倍首相さえもが潘事務総長の中国訪問に「深い遺憾の意」を表明し、「今後も特定の立場にも偏らないよう国連に呼びかけていく」と強調した。
こうした事を結びつけてみると、日本の行動のロジックは驚くほど似ており、いくつかの発言さえも一致することに気づく。南京大虐殺文書の登録申請と9月3日の記念行事への国連事務総長の出席は、中国に「政治利用」され、日本の侵略の歴史を再び世界の人々の面前に暴露するものであるため、国連やユネスコは「中立を保つ」べきなのだ。日本は「歴史事実」の問題にこだわる一方で、中国側や国連およびその専門機関の活動を中傷して、日本による侵略の歴史に対する国際社会の認識に疑問を呈し、否認している。日本は自らのかつての侵略の残虐行為を人類が忘れて、戦後の国際社会に対する「貢献」のみを記憶することを夢想するとともに、「積極的平和主義」によって世界に幸福をもたらすことを期待している。
こうした日本の行動は明らかに白黒を逆さまにするものであり、小細工を弄してかえって失敗するだけだ。もし日本が本当に自らの名誉を考え、子々孫々に歴史の重荷を残さないことを望むのなら、まず歴史を直視することから始めるべきだ。
「人民網日本語版」
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