皆の説得の下、お婆さんは山を下りて治療することに承諾したが、平溪口から鎮までまだ4キロメートルの山道があり、多くの道が崩れた山で埋まり、中断しては通じ、通じては中断している状態だ。隊員の鄧七凌さんなど3人は二の句を言わず、お婆さんを背負って山のふもとへ歩いていった。道中では余震に遭い、足元の地面はがたがたと震え、頭上には砂や石が転がり落ちてきた。
彼らは転がる石や、高く揚がったほこりの間を、一路駆け足で進み、お婆さんを太平鎮まで背負っていった。そして、身を翻して、再びより深い山の中へと急行していった。
劉門郷の紅星村では、宜賓市の鉱山救護隊が戸別に救援を行った。彼らは人を救助する際、農家が食糧、衣類や綿布団などを急いで運び出すことも助けてあげた。陳華隊長は、「同郷の方は希望を我々の身に寄せており、私は担った責任がたいへん重いと感じています。」と述べた。
太平鎮では、四川省安全生産監督管理局の呉金炉副局長は部隊を引き連れ戸別にドアを叩いて救援を行った。21日の晩までに、彼らはすでに太平鎮と双石鎮に対して救援や底引き網式の捜査を完成し、30数名の閉じ込められた村民を救出した。「我々は危険な状況に直面しましたが、数百人の部隊は1人でも後退する者はいませんでした。」と呉金炉副局長は述べた。
中国国家安全生産監督管理総局により集められた国家鉱山応急救援芙蓉チームおよび四川省、重慶市などの鉱山救護隊は、計35チーム800人余りが被災地域で奮戦し、蘆山で深刻な被害を受けた双石鎮、龍門郷、太平鎮、霊関鎮、思延郷、清仁郷、宝盛郷などの郷・鎮およびその村落で救援活動を展開しているという。
(新華網日本語)
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