中国の都市には地方からの出稼ぎ労働者が数多くいる。彼らは都市のさまざまな業界で働き、さまざまな場所で見かけることができる。高齢の両親や幼い我が子、そして生まれ故郷を後にして、自分の夢を追いかけている。その夢にも小さなものから大きなもの、すぐに実現できそうなものからなかなかできそうにないものまでいろいろある。筆者はこのほど、異なる世代の出稼ぎ労働者3人に夢を聞いた。工人日報が報じた。
70年代生まれの劉さん「流れ作業でも感謝」
安徽省出身の劉芳華さん(41)は、浙江省の平湖市にある「伴宇実業」で働いて10年以上になる。同社で働く従業員の多くが地方から来た出稼ぎ労働者だ。そして、同地で働くようになってから知り合った人と結婚している人も多い。出稼ぎ労働者は、若くても、単純な流れ作業を喜んで行う。「私たちはいろんな地域から来ているが、一生懸命働いて平湖に根を下ろすのが共通の願い」と劉さん。その簡単な言葉に、多くの意味が込められている。劉さんにとって、安定した仕事を見つけるのは容易なことではなく、会社側にとってもそのようなプラットホームを提供するのは容易なことではない。劉さんは、任された持ち場で自分の長所を発揮し、一定の収入を得、この街に根を下ろすことができると、自分の仕事を大切にしているのだ。会話の中で、劉さんが最も多く口にした言葉は、「感謝」だった。2010年9月のある夜、劉さんにとっては悲劇の日々が始まった。劉さんの夫が転倒し、脳を負傷しただけでなく、腰の骨も折ってしまったのだ。そのため、家庭の重荷すべてが一瞬にして劉さんの肩にのしかかってしまった。劉さんは、高齢の両親に加え、学齢期の子供を2人抱えているため、会社がすぐに従業員に対して寄付を募った。そして会社の社長自ら寄付をし、平湖市の労働組合もすぐに劉さんとその子供をサポートする手配をした。現在、劉さんの一番の願いは、今後条件が整った時に、多くの人を助け、自分の受けた気遣いを、他の人にも伝えることだという。
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