第二に、中国共産党は、抗日民族統一戦線の形成を呼びかけた。毛沢東同志は「日本が我々を侮るのは、主として中国の民衆が無組織の状態にあるからである」と指摘した。抗日民族統一戦線の形成は、近代中国の「散砂」的状況を転換し、各党派の同盟と全民族の力の凝縮の有効な方式を構築した。中国共産党は、抗日民族統一戦線の積極的な提唱者であり、民族解放を一貫して自らの任務と考え、「兄弟は家の中では喧嘩をしても、外からの攻撃にはともに立ち向かう」という大きな度量をもって、それまでの不和を捨て去り、国共合作を土台とした抗日民族統一戦線の形成に努めた。
戦局が困難な行き詰まりの状況に入ると、中国の抗日戦線には繰り返し形勢の後退が起こりかけた。だが中国共産党は動揺することなく抗日戦争を堅持し、妥協を拒否し、団結を堅持し、分裂に反対し、進歩を堅持し、逆行に反対し、抗日民族統一戦線に関する一連の方針や策略、原則を制定・実施し、国共合作による徹底した抗日戦争の局面を維持し、後退を回避し、分裂を防止し、全民族による抗日戦争を勝利に導く輝かしい旗となった。中国共産党は実質的に、中国人民抗日戦争の粘り強い政治指導の核心となったのである。
第三に、中国共産党は、全面的な全民族の抗日戦争路線を確立した。1937年7月23日、毛沢東は、「日本の進攻とたたかう方針、方法および前途」を発表し、断固とした抗日戦争という方針の下、全国の軍隊と人民の総動員と政治機構の改革などのひとまとまりの方法を実行しなければならないと強調した。8月25日、中共中央政治局は洛川で会議を開き、全国の軍民を動員して民族解放戦争を展開し、全面的かつ持久的な抗戦を実行する方針を討論・制定し、「中国共産党抗日救国十大綱領」を制定した。中国共産党の全面的抗日戦争路線は、全民族の抗日戦争の実行と人民民主の獲得、人民生活の改善とを結合し、外敵の侵入に対する抵抗と社会進歩の推進とを統一した。これは、政府と軍隊だけに頼って抗日戦争を進めようという国民党の一面的な抗日戦争路線とは鮮明な対照をなした。
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