かつての楊家埠木版年画は、旧暦12月前後に売られ始め、町の年画販売の老舗や市の露店では、数百種類以上の年画が壁に掛けられたり、地面に広げられたりして売られた。買うのはだいたい周辺の農民で、これを手にとってはまたあれを見と、非常に安くさまざまな美しい年画を買うことができた。家に買って帰ると、大門に門神(魔よけの神さま)を貼り、表門の内側にある目隠し塀に“福の字灯”を掛け、“福・禄・寿”三人の年画を広間に、かまど神の年画をかまどに、“月の絵”を窓に、“美人条”“金童子”などめでたい絵を寝室に貼った。水がめ、ウシや家禽の小屋、荷車、穀物倉庫に年画を貼ることもあり、本当に貼らない所がないと言ってもよいぐらい、年画で家の内外を飾り立て、どこからも喜ばしい雰囲気が伝わってきた。また、年画には別の用途もあった。楊家埠一帯には、娘が嫁ぐ時、嫁入り道具箱の奥に“三宝画”を入れる習慣があった。すなわち“春宮図”、“張仙射狗”、“麒麟送子”の年画を入れ、新婚夫婦の性教育を行い、早く子どもが生まれるように、子どもが健康に成長するように祈ったのである。
当時、楊家埠はどの家も年画工房であり、10月になると年画を製作し始めた。見本を模写し、下絵を描き、木版を彫り、印刷と表装を行い、市で売り、とても忙しかった。楊家埠の木版年画は豪放な雰囲気をもち、色が鮮やかで、描かれる内容も伝統的な縁起のよい図案や神や仙人の物語である。ただし、ここの人々はトラの年画は描いたものの、家にトラの年画を飾ることはなかった。それは住人の多くが“楊”という名字を持ち、この発音は中国語で“羊”と同じで、トラはヒツジを食うため、不吉だからである。したがってトラの年画は他人の魔よけのために提供されたものである。
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