
門神“神荼”の年画
門神“郁塁”の年画
1949年以降、同地では年画の改革が行われ、労働者、農民、兵士、トラクターが年画の素材となって門神の替わりになり、“大錬鋼鉄(鉄鋼の大増産を目指す運動)”をテーマにした絵が広間に貼られるようになった。文化大革命の最中には、年画は“四旧(旧思想、旧文化、旧風俗、旧習慣)”とされ、版木と下絵の大部分が焼かれてしまった。1979年、年画は新たな生命を得て、庶民の生活に戻った。“農民は年画なしに春節を過ごすことができません”と、楊さんは言う。
中国経済の発展につれ、この地で生まれ育った楊家埠木版年画はしだいに芸術の殿堂へと登っていった。1983年の春節(旧正月)、中国美術館で楊家埠木版年画の展示が行われた。その年、楊家埠年画の巡回展が南北アメリカ、ヨーロッパ、アフリカなどの9カ国で行われた。1990年代には、多くの楊家埠の年画職人がブラジル、日本などの国で年画制作を実演し、大好評を得た。2006年5月20日、国務院の認可を経て、同年画は第一回国家レベルの無形文化財に登録された。
現在、都市化の進展につれて、農村の様子がうって変わったため、生っ粋の農民さえも年画を貼ることは少なくなった。木版年画は博物館に入り、いろいろな記念品と共に観光市場に置かれる。絶えず値上りしている年画は、その名を慕ってやってくるコレクターや芸術家の収蔵品、国内外からの観光客の記念品となっている。現在、わずか310戸、人口1150人の楊家埠村では、年間2000万枚余りの木版年画が制作され、中国各地と世界百以上の国と地域に販売されている。山東省濰坊市周辺の500キロ近い民俗観光ルート上でも、楊家埠村は重要な観光地となっている。ここでは、明・清代のすぐれた年画の作品、道具や版木、年画の制作プロセスを実際に見学することができる。
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