年画制作に奉げる一生
百年の歴史をもつ老舗“同順徳”
楊洛書さんは楊家埠で百年の歴史を持つ書画専門店“同順徳”の19代目で、14歳から父親について年画の制作を学んだ。父の楊俊三が店の当主であった1920年代、店は最盛期を迎え、モスクワにも支店を出したほどであった。理解力に優れ向学心に富んでいた楊洛書さんは、18歳の時には年画制作に必要な技をすべてマスターしており、特に木版彫刻を得意とした。その後、70年間絶えず制作に励み、彼の代表作は『楊家埠木版年画全集』に収録され、また『水滸伝』『西遊記』『紅楼夢』『三国志演義』といった四大名著にまつわる年画も制作した。そのうち『水滸伝』では、かつては武松、魯智深、李逵など数人の人物キャラクターしかなく、楊洛書さんはすでに70歳を超えていたのにもかかわらず、わざわざ『水滸伝』の舞台となった梁山に足を運んで現地視察を行って、素材を集めた。さらにトラックいっぱいの版木を仕入れ、何度もデザインを調整し、1年余りの努力によって、ようやく“梁山百八将”の人物年画を仕上げた。一人の豪傑を一枚の絵に描き、一枚の絵には一枚の輪郭線版と4枚の重ね刷り版という5枚の版木が必要なため、あわせて540枚の版木を作った。また、彼による『西遊記』の年画も440版が作られ、彫られた人物は3~4000にのぼり、年画の珍品とされている。
楊洛書さんはずっと質素な暮らしをしているが、明・清代以降の年画用の貴重な版木を1200セット大切に収蔵している。その中には世にたった一つしか伝わっていない貴重なものが千枚以上もある。文化大革命中は危険を冒して、150枚以上の貴重な版木を布に包んで、ブタ小屋の地下に隠した。1993年、大切に収蔵していた50枚余りの明・清代の版木を無償で国家博物館に寄贈した。楊さんはかつて楊家埠民間芸術大観園に勤めており、40万人以上の国内外の見学者のために版木の彫刻技法を披露しただけでなく、招きに応じて文化交流のために訪日したこともある。また、中国木版年画国際シンポジウムの議長団メンバーに選ばれ、論文を発表したこともある。
楊洛書さんの年画工房は常に20人程度の専門技術者チームを擁していて、一年で平均150万枚以上の画仙紙の年画が刷られ、国内外に売られている。彼の最大の願いはこの世にいるうちに、楊家埠で伝承が途絶えていたすべての版木を復活させることだ。しかし、高齢なので、目も手も思うようにならず、版木の彫刻をやめざるを得なかった。長年の間に25人の弟子を育てたが、木版年画のすべての技法を使いこなせる伝承者は一人もいない。このことを楊さんは焦慮している。
農民の生活を描く“農家楽”