その行動は、大別すれば二種類のものが見えます。食べることを例にとれば、その一つは、現在の日本では、おひたしを食べるときには醤油を使うというような、外から見ることができる行動、もう一つは、普通の人がレストランのショーウインドウや店の外に出ているメニュ-を見て、“あ!これが食べたいな”と思うような、頭の中で何かを“どのようにか”考えるという、外から見ることができない内面で起こす行動です。
这种行为大致有两种体现方式。把饮食作为例子去看的话,一种是表面就能看到的行为,像在如今的日本,吃凉菜时会拌入酱油这样,还有一种则是在脑海中想着要把什么“怎么样”,这是表面无法看到的内心行为,比如一般人看到饭店橱窗或门外的菜单,产生“啊!好想吃这个啊”这样的想法。
すなわち(1)の意味で言えば、着飾って寿司屋に出かけて高級寿司を食べるのも、一山百円のミカンをこたつでテレビを見ながら食べるのも、焼いた目刺しを肴に日本酒でチビリチビリやるのも、お母さんが固形のルウを使って作ったカレーライスを一家で食べるのも、みんな現在の日本文化の例なのです。
也就是说,从意思(1)来看,打扮一番去寿司店吃高级寿司也好,在被炉里边看电视边吃一百日元能买一堆的橘子也好,配着沙丁鱼干串饮饮日本酒也好,全家人一起吃母亲用固体咖喱块做的咖喱饭也好,无一例外都是如今日本文化的例子。
気を付けなければならない点は、まず、文化とは個人的なものではないということです。ネギを食べるのは日本の食文化の一例だというとき、“わたしはネギが嫌いだから、それは日本文化ではない”と言うことはできません。
在这里必须要注意一点,首先,文化这东西不是个人性质的。比如把食用葱看作是一种日本饮食文化的话,就不能说“我讨厌葱,所以这不是日本文化”。
さらに、“カレーライスは日本のものではないので、日本の食文化に入らないのではないですか”という人がいますが、それはカレーの起源を問題にしているのであって、現在という時点で考えれば、カレーライスは日本における立派な食文化の一例と言えるのです。それどころか、日本式のカレーライスの起源はインドではなくて、1770年代の英国であり、それが日本国に紹介されたのは1870年代、一般の人々がその存在を知ったのは、そのずっと後のこと、さらにそれが日常的な食事として人々の間に行き渡ったのはこの数十年間のことに過ぎません。すなわち、カレーライスは、たった百年ほど前には、日本の一般的な食文化には含まれないものだったのです。