
籔内佐斗司氏は日本の彫刻家で東京芸術大学大学院教授。
王敏氏は、中国の比較文学、比較文化研究者、日本研究者。法政大学国際日本学研究所教授。
2013年4月27日、王敏先生は東京芸術大学構内のギャラリー「陳列館」で薮内佐斗司氏が昨年度に実施した研究報告を発表する展示会に参加し、薮内氏との対談に臨み、仏像を巡る日中の文化交流について意見を交わした。以下はその一部である。
王敏先生(以下敬称略、王):
先生の専門は仏像ですが、仏像に限らず、全体的に日本という国または日本文化の特徴について教えていただけますか。
薮内佐斗司先生(以下敬称略、薮内):
日本というのは元々日本人が日本列島にいたわけではなくて、中国大陸、朝鮮半島、ポリネシア、東南アジアなどから集まってきた人たちです。おそらく1500~2000年前は今のアメリカ合衆国と似たようなものだったと思います。それを一つにしようとする国策が行われたのは恐らくその奈良に平城京が造られた天平文化の時代だと思います。その後は平安時代を通じて、新たな移民を受け入れず、日本列島に住む人々がミキサーの中に入れられたように一つに交じり合い、今の日本人が生まれたのではないかと考えています。文化面の例をあげますと、「伎楽」というのは中国の揚子江流域で完成された音楽ですが、中国本土にもあるいはそれを日本に伝えた朝鮮半島南部にも既に音楽としても、物理的なものとしても、その痕跡は残っていない。しかし、日本人はそれを大事に保ってきたのです。それは結局正倉院や法隆寺、東大寺などに大事に保管されています。
それ以外に、日本には雅楽という音楽がありますが、中国本土ではもう既になくなってしまった古い楽器が日本の雅楽では今でも使われています。そういう風なことを考えますと、日本という国は、日本オリジナルのものは非常に少ないけれども、1500年~2000年前の東アジアで起こった様々な文化と思想がそのまま残っている非常に珍しい地域だろう。私はこれを「おばあちゃんの箪笥の引き出し」と言っています。私の祖母の時代というのは紐だろうがシールだろうがリボンだろうがなんでも綺麗に畳んで箪笥の中にしまっていました。それが使われることは滅多にないが、きちんと捨てずに箪笥の中にしまわれているのです。そういうものがその日本の文化と交じり、日本人の中で咀嚼され、日本文化を築き上げてきたのだろう。仏像もその一つだと思います。
|