于強氏は北京大学国際学部を卒業し、安徽省馬鞍山市外事弁公室主任を担任したことがあり、1995年に上海に転職しました。彼はかつて中国に残った一人の日本残留孤児に政策の施行を協力して、一家を黒龍江省の農村から馬鞍山に移させ、安住させました。この孤児の遭遇は彼の心を打ち、彼女を題材にして小説「風媒花」を書き下ろし、日本の著名な作家伊藤桂一先生の協力で1987年に光文社によって出版されました。小説は中国の養母が徳を以って怨みに報いる偉大な心持と国境を越えた大きな愛を讃えました。その後、于強氏はまた小説「翰墨情缘」(日本語版「李天海の書法」)、「異国未了情」が日本で出版されました。第四部の小説「桜の輝き」も稲見春男先生によって日本語に翻訳され、東北サイトに連載されました。
于強氏また馬鞍山市と上海市の中日詩吟会を創設し、企画し、長年にわたり、中日文化交流に携わって来ました。
「東北サイト日本語」
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