哀悼の対象が同じ戦死者であっても、記念碑にこめられた思いはそれぞれ異なる。第二次大戦末期、沖縄は戦火に激しく踏みにじられた。沖縄県平和祈念資料館の第4展示ホールには、「鎮魂」の二文字が刻まれた碑が置かれ、戦死したすべてのひめゆり部隊のメンバーの写真がかかっているが、文字による説明はない。一方、民間によって設立されたひめゆり平和祈念資料館には、日本軍が戦争中に取った無責任な行為や加害行為がはっきりと記されている。戦時の日本軍が沖縄の民衆に対して加害行為を取ったかについては対立する証言がある。それは学術界での論争にはとどまらない。作家の大江健三郎は、『沖縄ノート』で沖縄の民衆に対する日本軍の加害行為を紹介したことで、日本の右翼に訴えられた。裁判所の内外で双方は激しく対立した。大江健三郎が勝訴したものの、記憶を守る戦いは依然として継続している。しかしはっきりとしているのは、戦争によって大きな傷を受けた沖縄には、独特な反戦平和意識が育っているということである。沖縄県立平和祈念公園にある「平和の礎」には、沖縄戦で犠牲となったすべての人の名前が彫られている。国籍を問わず、軍人か民間人であるかを問わず、交戦した双方の犠牲者の名を刻み、さらに徴兵によって日本軍に加わらせられた朝鮮と台湾の兵士の名前もある。こうした独特な記憶の場は、事実を抹殺することではなく、犠牲者の範囲を拡大することによって恨みを取り除くものであり、未来志向のものと言えるだろう。
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